2016/03/19

宇宙新年、春分を迎える



明日は、春分の日ですね。宇宙新年の日です
だとすると今日は、大晦日です。
明日から、本格的な2016年が始まります。

皆さんは、2月や3月の今日まで、どのような年末を過ごされて2015年の締めくくりをされましたか?

わたしは、まさに2015年の終わりにふさわしく師走のごとく、あちこち駆け回っておりました。
とても素晴らしい出会いや仕事にも恵まれて、2015年の扉を閉じることができたと思います。

明日からは、本格的に新しい流れが始まります。
2016年は、どんな年にみなさんされたいですか?
本当にあなたのハートがイエスを出す選択に心から取り組んでいける年になるといいですねー!

さて、こちらスペインはキリストの復活祭の休暇が始まりました。
私は、1週間、ピレネー山脈へ行ってまいります。
フランスへの国境を越えて奇跡の泉で名の知られているルルドという町のそばでスキーをします。
スキーの合間にルルドの聖母マリアへご挨拶に行くことにしました。
これで、2度目の訪問となります。今回は9年ぶりです。
たくさんのご報告と感謝の気持ちを伝えてこようと思っております。

みなさまも、素敵な新年をお迎えくださいね。
スペインより愛を込めて

百合香


奇跡の泉の名で知られているルルドという町についてWikipediaより引用)
1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人[1]を「あれ」(アケロ)と呼び、聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」[2] という言葉であったという。
これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリック教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。
以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。[3]この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。
ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。[5]
ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件される。このため、これまで2,500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡と公式に認定される症例は大変少数(68件)となっている。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

よかったね。うらやましい。