2010/06/19

ある日の街角で

Madridマドリッドで、街角や、地下鉄の中で、
食べるものも仕事もありませんと、お金をつのっている光景がある。。。
それは、ジプシーの人だったり、現地の人だったり、アフリカの人だったりする。

ここにすみ始めた頃、そういう光景を目にしたことがなかったので
今日は、偶然にもよくそういう場面にでくわすなあと小銭を次々と渡していた。
ある日、これは日常のことなのかと気づいた。
そして、最近は、きりがないかもとか、お金を渡すことが本当の解決になるんだろうかって
考えたりして、次第にバックの中から財布を出すことがなくなってしまった。
そんな自分にも罪悪感を感じたり。


今日、道を歩いているとき、ふと目に入った一瞬のこと。
パン屋から出てきた女性客が入り口にたっていたアフリカ人男性に小銭を渡した後だった。
彼は女性客の去っていく後姿に十字を切って祈ったのを私は、見逃さなかった。

世の中すてたもんじゃないって
こういうことなのかな

2010/06/09

日曜日、2年ぶりにフォトセッションをした。
その一枚をこのブログの表紙にさせていただいた。
スペイン人 Roberto Condadoという若手のすばらしいカメラマン。
http://www.flickr.com/photos/condadoconde/


多くを語らず、自然体そのものである彼自身を通して、新しい自分を発見させてもらった。
午後20時すぎ、光が和らぎ始めた時間。
マドリッド少し郊外へ車で出向いた。

光と木々がやさしく交差していて、その空間はゆっくりと時間が流れているのを
記憶する。

Roberto Muchisimas gracias.
ありがとう ロベルト。
 with maite

Pensando
kaze

ユリキータより マドリッドにて

2010/06/02

無限

今朝、ねぼけまなこでキッチンへ向かった。
すると、窓からすずしくて緑の匂いを含んだ風が顔へ吹いた。
起きたてのぼやけた意識の中に、ふと、この風は無限なのだとおもった。
始まりもなく終わりもない。この心地よい風は、とまることがない。
これだけ出し切ったから、はいもうこれで終わりってことはないんだ。
パックのなかに入っている牛乳とはわけが違う。
牛乳は飲んじゃえばおしまいが来るけれど、風は違う。

自然の無限さに半無意識のなかで感謝の気持ちと驚きがわいてきた。

 不思議だ。
ねぼけまなこは、おきているときに感じられないことまで時々無理なくこの世の中の原理を
発見することがある。

ふとしたことに気づく幸せ。
今日は、満月だったと気づいたとき。
風は無限だったのかと気づいたとき。
どこからなのか、遠くから聞こえてくる心地よい音楽に気づいたとき。
街角で小さい女の子が大事そうに、彼女よりもっと小さい弟をおんぶしている姿を
見つけたとき。


今日は、私の手帳のスケジュールの中に書かれていないことを
記したくなる日だった。