2016/09/27

ブログのお引越し

こちらのブログに長い間お世話になっておりましたが、
このたび、アメブロさんのほうに、ブログのお引越しをいたしました。
最近は、こまめな更新もなくすみませんでした。
こちらのブログを読んでくださった方々、本当にありがとうございます!

これからは、こちらアメブロのブログをご覧いただけましたら光栄です。

新しいブログは、こちらからです。
http://ameblo.jp/yurikakodama/

素敵な秋の日々をお過ごしくださいませ。

ゆりか

2016/03/19

宇宙新年、春分を迎える



明日は、春分の日ですね。宇宙新年の日です
だとすると今日は、大晦日です。
明日から、本格的な2016年が始まります。

皆さんは、2月や3月の今日まで、どのような年末を過ごされて2015年の締めくくりをされましたか?

わたしは、まさに2015年の終わりにふさわしく師走のごとく、あちこち駆け回っておりました。
とても素晴らしい出会いや仕事にも恵まれて、2015年の扉を閉じることができたと思います。

明日からは、本格的に新しい流れが始まります。
2016年は、どんな年にみなさんされたいですか?
本当にあなたのハートがイエスを出す選択に心から取り組んでいける年になるといいですねー!

さて、こちらスペインはキリストの復活祭の休暇が始まりました。
私は、1週間、ピレネー山脈へ行ってまいります。
フランスへの国境を越えて奇跡の泉で名の知られているルルドという町のそばでスキーをします。
スキーの合間にルルドの聖母マリアへご挨拶に行くことにしました。
これで、2度目の訪問となります。今回は9年ぶりです。
たくさんのご報告と感謝の気持ちを伝えてこようと思っております。

みなさまも、素敵な新年をお迎えくださいね。
スペインより愛を込めて

百合香


奇跡の泉の名で知られているルルドという町についてWikipediaより引用)
1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人[1]を「あれ」(アケロ)と呼び、聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」[2] という言葉であったという。
これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリック教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。
以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。[3]この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。
ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。[5]
ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件される。このため、これまで2,500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡と公式に認定される症例は大変少数(68件)となっている。


2016/02/23

私の選ぶ映画リスト vol 2「ショーシャンクの空に」



ショーシャンクの空に
1994年(日本公開1995年)・アメリカ
監督 フランク・ダラボン
出演 ティム・ロビンス,モーガン・フリーマン,ウィリアム・サドラー,ボブ・ガントン,クランシー・ブラウン,ギル・ベローズ,マーク・ロルストン,ジェームズ・ホイットモア


これほどの素晴らしい作品は、私にとって映画史上最高の作品です。

主人公アンディ・デュフレーンは妻とその不倫相手のプロゴルファーを殺した容疑をかけられ、無実を主張したものの、
終身刑の判決を受けます。
有無をいわず、ショーシャンク刑務所に収監されることになります。
この大規模な刑務所ではノートン所長が絶対的で無道徳な権力を振るい、囚人たちを支配していました。
ショーシャンク刑務所では、服役囚に対する刑務官の暴力や、囚人同士のけんかや暴行が日常茶飯事だったのです。

 刑務所内には日用品やタバコ、はては映画女優のポスターに至るまで外部から調達してくる"調達屋"レッドがいました。

アンディと同じ終身刑を宣告されたレッドは二十年以上もこのショーシャンクで服役していたが、仮釈放の見込みがいっこうに立つ気配はありませんでした。レッドと知り合ったアンディは少しずつ、刑務所の生活になじんでいき、以前、銀行の副頭取だったアンディは刑務所長の会計係を務めるようになりました。

無実の罪で収監されたアンディー、そして殺人罪で服役するレッドの運命を通して、刑事司法制度の抱える問題点に鋭く描かれています。
本作は、スティーヴン・キングの中編を集めた作品集『恐怖の四季』に収録されている「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作になっています。

アンディーを演じるのはティム・ロビンス。無実にもかかわらず刑務所に入れられ、青天の霹靂を経験した人間が、それでもなお、希望の光を絶やさず生きるその姿に、観客は感情移入せずにはおられません。

わたし、女優兒玉百合香の血と肉になった作品の一つです。
作品は、今から21年前、ロードショーされています。
当時、思春期だった私は、進学校ならではの競争、筋の通らない規律、過度な宿題に追われ、
がんじがらめの学園生活を送っていました。
主人公アンディを自分に重ねていたのです。
大げさかもしれないけれど、校舎がまるでショーシャンク刑務所に見えることすらありました。

この作品を見て私の中に強く残ったメッセージです。

「どん檻に閉じ込められようが、どんな環境におかれようが、
この心の中の希望の光は、誰も奪うことのできないものなのだ。。
そして、その希望の光を求め続けることに屈さなかったものが本当の自由の光を浴びることができる」






2016/02/18

私が選ぶ映画リスト vol 1「赤毛のアン」

私が、今まで見た映画や、読んだ本、聞いた音楽の中で、
印象に残った作品や、私の人生に大きな影響を及ぼした作品などを一つずつ紹介していこうと思います。
もしよろしかったら、お付き合いくださいませ。



「赤毛のアン」(1986年)
監督:ケヴィン・サリヴァン 原作:ルーシー・モード・モンゴメリー
脚本:ケヴィン・サリヴァン、ジョー・ワイゼンフェルド 撮影:ルネ・オオハシ 音楽:ヘイグッド・ハーディ
出演:ミーガン・フォローズ コリーン・デューハースト リチャード・ファーンズワース パトリシア・ハミルトン

この作品は、誰もがしっているルーシー・モンゴメリー著作の「赤毛のアン」を映画化したものです。
原作を読んだ後に、映画化されたものを見ると、がっかりする人が多い中、この作品に限っては、
原作よりもむしろ映画のほうが好きだったという観客もおおいのではないでしょうか。
映画は、カナダのプリンスエドワード島の美しい雄大な景色を映し出しております。
配役も、これ以上のベストキャスティングはないのではと思われるほど、茶目っ気のあるアンを見事に演じたミーガン・フォローズの素晴らしい演技は、多くのファンを生みました。

アンは、少し気難しい年老いた兄弟に孤児院から引き取られていきます。
毎日をいとおしみながら、周りの人たちと、心を交わしながら、自分の過去に卑屈にならずに、前を向いて明るく生きて行く彼女の姿は、多くの恵まれない環境に生まれた人たちの希望の光となったことでしょう。
どんな時も、ユーモアを、夢を持ちながら、生きる。。。
アンは、たびたび「あんたは、夢見がちだよ」と引き取られたおばさんに叱られます。
しかし、孤児院で育った彼女は、夢見ることでしか生きてこられなかった現実がありました。
想像を膨らませて、その中で生きることのほうが現実を生きるよりも素敵だった。。
彼女のバックグラウンドをみると、夢見がちな人格を形成せざえるおえなかった環境が伝わってきます。
しかし、彼女は、引き取られた家庭で愛を受け取り、友達にも恵まれ、人並みの生活を送り始めていくうちに、足を地につけながらたくましい女性と成長していきます。
孤児院そだちでも、親から捨てられた子供時代をすごしたとしても、しみったれてない
その姿が、世界中の「赤毛のアン」のファンの心を揺り動かし、勇気と夢を与えてくれたのです。
そう、だからアンは、永遠の赤毛のアン。

わたしも、何を隠そう、「赤毛のアン」に、勇気と夢とワクワクをもらったファンの一人です。
ぜひ、子供から大人まで見てもらいたい作品の一つです!
そして、音楽もまたこれが素敵なんです。壮大なカナダの自然と美しさを感じさせる優しい音楽。
久しぶりに聞いてみると、またいいですね。
わたしが映画を見たのは10歳ごろでした。当時の私にとって海を越えたはるか遠い美しい島
プリンスエドワード島は、夢のような世界でした。そこに生活する自分を想像してみたりしたものです。夢見がちな私の性格は、もしかした、アンゆずりかもしれませんね。
音楽や、映画のワンシーンを見るだけで、ぐっといろいろな思いがこみ上げてくる。。。
思春期に、夢や勇気をもらえる映画や本に出会えることは、人生の財産ですね。




2016/02/13

3度の虹が教えてくれたこと


私は、今週、3度も虹に出会いました。
2月8日、9日、そして今日13日、
合計3日間。

写真は虹の色が見やすく少しトーンを調整しています。

もうここまで来たら、なぜ私が今週、3度も虹に出会えたのか、
その理由を書かなくてはすまなくなりました!!!笑
1週間のうちに、3度も虹に出会えることは、生まれて初めてです!
今日、Facebookにまた虹の写真を載せたら、スペインってよく虹がでるんですか?と聞かれたぐらい(笑)
私自身も本当に驚きと、感動と、そして感謝の気持ちであふれています。。

さて、なぜ、こんな素敵なたくさんの奇跡に出会えたのか、お話しいたします。

私は、先週から右京さんが、呼びかけていらっしゃるミラクルマニフェストキャンペーンを実施し始めました。
詳しくは、彼女のブログをぜひ、後ほどお時間をとって読んでいただけたらいいかと思います。(http://ameblo.jp/supidama/entry-12127605638.html
そのミラクルマニフェストキャンペーンというのは、Be the miracleと心をこめて唱えること。
そして、だれかに心を込めて感謝の気持ちやプレゼントを贈ったり、誰かや何かのために奇跡になろうというキャンペーンなんです。
Be the miracle それは、「奇跡である」という意味です。
私自身そのものが、奇跡そのものであるということ。
この生きている一瞬一瞬が奇跡そのものであるということ。。。
言葉を言い変えるとするならば、
あるいみ有難いということを改めて体中で実感することにも近いかもしれませんね。

わたしは、このBe the miracleを、毎日心を込めて今、唱えています。
自分が奇跡そのものの存在であること。こうして、手足が動いて、目が見えて、耳が聞こえて、声がだせて、
内臓が動いてくれて。。。。すべてが、かけがえのない奇跡であること。。。
そして、こうしてブログを書く時間があって、パソコンを打てる指があって、そして、今、このブログを読んでくださるあなたという存在がある。。。
すべてが、奇跡なんです。。有難いことなんです。
当たり前のことなんて一つもない。一瞬一瞬が、かけがえのない奇跡の集まりなんです。
そう感じたときに、あなたなら、どう生きますか?
わたしは、自分をぎゅーっとハグして、そして、この瞬間自体を抱きしめたくなります。
今まで出会ったすべての人たちを、今まですれ違った見知らぬ人たちを、目に見えない多くの存在たちに
ありがとうって言いたくなるんです。そして、私は、言います。

さてさて、私の見た虹をぜひ、紹介させてくださいね。

まずは、旧暦の新年ともいわれている2月8日、朝起きた時に、
今日は、新年の始まりだなあ、虹が見えたらうれしいなと思ってBe the miracleを心を込めて
唱えながら家のことをしていました。10分ぐらいした後でしょうか。。
家の前に美しい霧の中、虹が現れました。

それはそれは、とても幻想的で、午前中、3時間かけて、何度も場所を変えては、
虹を見せてくれました。






 そして、お次は、翌日の2月9日、お昼15半ごろ、高速道路に乗って家路に向かっている途中でした。
ふと右をみると、素敵な虹がでているじゃありませんか。。
二日続けて、アーチの虹。
涙が出そうでしたね。。。



そして、お次は、今日の虹。
昨日から、風雨がとっても強くて、空は雲に覆われていました。
空を見上げながら、今日は、虹に出会えるかな?うーん、今日はどうかなあ。難しいかな思っていたのです。
しかし、しかし、天は見せてくれました。 見事な虹を!
どんどん色が強くなっていきました。



虹のほかにも、たくさんの奇跡が起きています。。。
それは、また後々お話ししたいと思います。

あなたも、早速、心を込めて感謝の気持ちを込めて
Be the miracleを唱えてみてください!
きっと、素敵な虹や、人や、出来事にたっくさん出会いますよー!!

2016/01/12

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます!

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます!
ブログの更新を全然しておりませんでした。
フェイスブックのほうが近況発信ツールの一つとなってしまい、
ブログは、なかなかおざなりになっています。。。
楽しみにしてくださっているかたに、申し訳ないですね。ごめんなさい。

でも、フェイスブックは、流れが速いし、せっかく書いた記事も、1年前とか、2年前とか
見つけ出しにくいですが、ブログだと、過去の記録もすぐに取り出せるので
本当は、ブログ中心にかいていったほうがのちのちはみやすくていいのかなとおもいます。


このブログ設定に、統計というのが、あって毎日何人ぐらいの人がどこから
ブログをみてくださっているのか、わかるようになっているんですが、
最近の、統計をみてみると、
ダントツに、ウクライナからが多いんです。
不思議。。ウクライナに日本人がいらっしゃるんでしょうか?
もし、このブログを読んでくださっていて、ウクライナから訪問してくださっている
方がいらしたら、ぜひ、コメントくださいませ!
ウクライナの次に、アメリカとなっていました。
確かに、アメリカには日本人の知人が何人かいるので、その方たちが見てくださっているのかなと思います。
いつもありがとうございます!この場をお借りしてお礼申し上げます。
それにしても、なかなか更新しないブログになってしまっているからまた更新してないのか
とあきれ返られた方々もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい。


さて、今年は、日本は暖冬らしいですが、おなじく私の住むスペインのマドリッド郊外も暖冬です。
今日は、小雪がちらついていますが、例年に比べると過ごしやすい冬だそうです。
こんな日には、おいしいカレーがとってもよく似合う。
我が家は、カレー好きさんが多いので、カレーをたくさんこしらえますよ。
いたって、我が家の普通のカレーですが、やっぱり日本発のカレーはおいしい!
毎年、日本に帰国した際は、大量にカレールーを買ってきます。


こちらスペインは、クリスマスシーズンは、とっても長いです。
12月24日から1月6日までが、クリスマスシーズンです。
なので、お正月といったおごそかな雰囲気ではなく、家族で集まったり、里帰りした久しぶりの友達にあったりと人とわいわい食べて飲んで、過ごすのが典型的なスペインのクリスマスの過ごし方ですね。
今年も、例年のように主人の実家でクリスマスを祝いました。
25日は、私たちの自宅でも、家族を招いてクリスマスを祝いました。

メインメニューには海鮮スペイン風雑炊(Arroz Caldoso)を作りました。
美味しいよーとみんなに言ってもらえてほっと安心。

さてさて、2月は、二つのプロジェクトが控えています。
二つとも短編映画です。
一つは、オランダの画家ゴッホをモチーフにした作品に出演します。
もう一つは、夏前に取りかけていた、「OTAKU」の作品の最終シーンをとりおえます。
どちらも素晴らしい作品となって、世界に羽ばたいていってほしいですね。

女優の仕事は、待つ仕事でもあります。
撮影中も、待ち時間。役が回ってくるのも待つ。
昔、水戸黄門の撮影中に、ある俳優さんが、おっしゃっていました。
役者は、いかに待つときを充実させるか。。。
気を抜きすぎてもいかん、気が張りすぎていても疲れる。
いいあんばいに、待つことを知り、自分ができることをする。。。
そんなようなことを、20代前半に聞いた覚えがあります。
「待つ」
冬の間、冬眠する動物もいますね。冬の間、植物たちも、土の中でじっと時がくるのをまっています。
ただまっているわけではなく、土の中でも成長し続けています。

わたしも、1月は、自分の体調を整えて、体を動かしながら、自分との対話をつづけながら、
回ってくる出番を待ちます。

花は咲く時をしっている。。
それぞれの花が、一度に咲くわけではない。
花の種類によって咲くとき、咲く出番がある。

さてさて、わたくし百合の花は、いつ咲きましょうか。笑
(私の名前、百合香にちなんでみました。)


みなさま、2016年、いろいろな変化を迎えていらっしゃるかたもいらっしゃるかもしれません。
終わりは、始まりのしるし。
いつでも、裏と表は、背中合わせです。
自分のこころを、自分の中心に合わせ、ぶれない自分、情報多きこの世の中、惑わされない自分、
自分の中にある普遍性に心を向けてみましょう。
きっとそこには、自分の中の答えがあるはずです。

それでは、みなさま、今年もなにとぞよろしくお願いいたします。

スペイン南コルドバのメスキータ